すえ‐はるかた〔すゑ‐〕【陶晴賢】
陶晴賢 (すえはるかた)
陶 晴賢(すえ はるかた) 1521~1555
◇父:陶興房 兄:陶興昌(義清) 室:内藤隆時女 子:陶長房、貞明
周防・大内氏重臣として周防守護代を務める。大内氏右田流陶興房2男だが、兄は不都合有って父に殺されていた為、後を継ぐ。周防・富田若山城主。度々各地に出陣活躍し大内氏を支えた。又、美男であり、一時期当主義隆と衆道の関係にあった。しかし、義隆が側近の右筆相良武任を重用し、政治が乱れた為諫言するが受け入れられず、1551年、謀反を起こして義隆を攻め自刃させた。晴賢謀反の噂はその前から流れていたが、義隆は信じなかったという。その後、義隆の姉の子豊後・大友氏の大友晴英を迎えて大内の家督を継がせた。石見・吉見氏を攻めていた時、安芸・毛利元就に侵攻された為、和議して、毛利氏に向かった。しかし、勇将江良房栄を謀略で自ら討って失い、安芸・厳島におびき出されて毛利氏の奇襲を受け敗北、厳島大江の浦において自刃して果てた。尚、元就の2男元春とは義兄弟の契りを結んでいる。
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