高橋興光とは? わかりやすく解説

高橋興光(たかはし おきみつ) ????~1529

○大九郎
◇父:高橋久光
 石見藤掛城主南北朝期、師光が北朝高師泰従い出雲佐和顕連攻めの功にてその所領を得、祖父清光の時から出雲尼子氏仕える。父戦死後その後を継ぐ。戦略には長けていたが、家政疎く家中離反招き従兄弟高橋盛光に討たれた。

高橋興光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/13 14:53 UTC 版)

 
高橋興光
時代 戦国時代
生誕 文亀3年(1503年
死没 享禄2年11月21日1529年12月21日
別名 通称:大九郎
墓所 藤掛城跡(島根県邑智郡邑南町木須田)
主君 大内義興尼子経久
氏族 石見高橋氏
父母 父:高橋弘厚
テンプレートを表示

高橋 興光(たかはし おきみつ)は、戦国時代武将安芸国石見国国人である石見高橋氏の当主。高橋久光の次男である高橋弘厚の子とされるが、高橋氏の系図については異説も多く、以下の記述も確定的なものではない。

生涯

文亀3年(1503年)、高橋弘厚の子として生まれたとされる。

永正12年(1515年)、高橋氏の当主であった伯父・高橋元光の戦死により、祖父・久光の後見を受けて家督を相続する。父に倣い、大内義興から偏諱を貰って興光と名乗ったが、これは安芸国人一揆の結束を弱め、大内氏による安芸への影響力が再び強まる一因となった。

近隣の国人である毛利氏の当主・毛利興元に叔母(伯母)が嫁いで嫡男の毛利幸松丸が生まれており、毛利氏とは友好関係にあった。永正13年(1516年)に毛利興元が死去し、幸松丸の家督相続を機に外戚として毛利氏に干渉したが、幸松丸の外祖父として権力を振るった久光は永正18年(1521年)に戦死した。

毛利幸松丸を後見し、大永3年(1523年7月15日の幸松丸死去によって毛利氏の家督を相続した毛利元就は、次第に高橋氏と敵対するようになり、享禄元年(1528年12月21日、父・弘厚[1]が在城した安芸国高宮郡の松尾城が大内方の毛利元就、和智豊郷、弘中隆兼の軍に攻撃され、翌享禄2年(1529年5月2日に落城した。

興光は石見国邑智郡阿須那の藤根城に籠城し、尼子経久の三男である塩冶興久に援兵を要請したが、毛利元就は興光の叔父[2]である高橋盛光をそそのかして興光を自刃に追い込み、それに乗じて高橋氏の領地を併呑した。これにより石見高橋氏は滅亡した。なお、盛光も主君殺しを理由に直後に元就に殺害されている。

なお、元光や久光の戦死についても、興光の最期と類似したエピソードが伝わっており、どこかで伝承に混乱があったと推察される。また、高橋氏の滅亡時期について、享禄3年(1530年)5月が正しいとする説も出されており[3][4]、それに対する反論[5]も含めて議論がされている。

ちなみに、同じく元就に滅ぼされた本城常光は高橋氏の一族だという。

脚注

  1. ^ 一説に弘厚の弟である高橋重光とも。
  2. ^ 従兄弟、義兄弟とも。
  3. ^ 秋山伸隆「高橋氏の滅亡時期をめぐって」『令和元年度企画展 芸石国人高橋一族の興亡 展示図録』、安芸高田市歴史民俗博物館、2020年。 /所収:村井良介 編『毛利元就』戎光祥出版〈中世西国武士の研究 8〉、2024年10月、87-96頁。ISBN 978-4-86403-548-4 
  4. ^ 秋山伸隆「家督相続後の毛利元就-高橋氏の滅亡時期をめぐって(再論)-」『毛利氏×郡山城-元就生涯の城 展示図録』、安芸高田市歴史民俗博物館、2023年。 
  5. ^ 岸田裕之「大内義興の死と備芸石の動乱-享禄二年の安芸松尾城の高橋氏攻めと毛利元就-」『大内と幕府 毛利と織田 境目地域の領主連合』清文堂出版、2023年。 

登場作品

関連項目




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高橋興光」の関連用語

高橋興光のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高橋興光のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
戦国武将覚書戦国武将覚書
Copyright (C) 2025 戦国武将覚書 All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高橋興光 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS