防芸引分とは? わかりやすく解説

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防芸引分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 23:14 UTC 版)

防芸引分(ぼうげいひきわけ)は、天文23年(1554年)5月12日に、周防国)の大内義長陶晴賢に対して安芸国)の毛利元就が断交した出来事である。この「引分」とは、関係が決裂したことを表す言葉で、合戦そのものを指すわけではないが、防芸引分の対外的な表明となった戦い(安芸佐西郡にある大内氏諸城の攻略)も併せて解説する。


  1. ^ a b c d 『歴史群像シリーズ9 毛利元就』(学習研究社、1988年)
  2. ^ a b c 山本浩樹『戦争の日本史12 西国の戦国合戦』(吉川弘文館、2007年)
  3. ^ 河合 1984, p. 171.
  4. ^ 河合 1984, p. 172.
  5. ^ a b c 河合 1984, p. 173.
  6. ^ a b 河合 1984, p. 176.


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