宇賀島(備後)の海賊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/31 14:40 UTC 版)
尾道水道にあった宇賀島(現在の広島県尾道市)の岡島城を本拠地に、周辺海域で礼銭・関料を徴収していた海賊衆。 『老松堂日本行録』によると応永27年(1420年)7月に李氏朝鮮の使者・宋希璟が小尾途津(尾道)で「海賊船十八隻」と、『梅林守龍周防下向日記』によると天文20年(1551年)4月に東福寺の僧・梅林守龍が竹原で「関之大将ウカ島賊船十五艘」と遭遇しており、これらは宇賀島衆だと考えられている。 安芸国で勢力を拡大した毛利元就が大内・陶氏と対立(防芸引分)した天文23年(1554年)頃、元就の三男である小早川隆景により攻め滅ぼされた。岡島城陥落の時期は不明だが、同年10月には隆景の率いる軍勢が宇賀島の南側にあたる歌島(現在の向島)にある烏崎に陣を構えている。その後、岡島城は因島村上氏の支城となったと思われる。
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