大内・陶(周防・長門)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 15:08 UTC 版)
「大寧寺の変」の記事における「大内・陶(周防・長門)」の解説
文治的だった義隆政権を否定して軍事力強化に走った義長・晴賢連合の新政権は、大内家支配下にあった国人や諸大名への賦役を増大させたために、かえって反発を受けるなど領国統治に不安を抱えていた。その上、蜂起の際は協力的であった杉重矩が、本来は不仲であった晴賢と再び対立、殺害されるなどして、その政権中枢ですら不安定なものであった。
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