陸軍少佐任官とは? わかりやすく解説

陸軍少佐任官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:20 UTC 版)

乃木希典」の記事における「陸軍少佐任官」の解説

慶応4年1月1868年2月)、報国隊の漢学助教となるが、11月同年12月)には藩命により、伏見御親兵兵営入営しフランス式訓練法学んだ。これは、従兄弟であり報国隊長であった御堀耕助が、乃木源三対し学者となるか軍人となるか意思明確にせよと迫り乃木軍人の道を選んだことから、御堀が周旋し結果発令されたという。 明治2年7月1869年8月)、京都河東御親兵練武掛となり、次いで明治3年1月4日1870年2月4日)、豊浦藩(旧長府藩)の陸軍練兵教官として、馬廻100石を給された。 そして、明治4年11月23日1872年1月3日)、黒田清隆推挙受けて大日本帝国陸軍少佐任官し東京鎮台第2分営属した当時22歳乃木源三少佐任じられたのは異例大抜擢であった乃木少佐任官喜び後日少佐任官の日は「生涯何より愉快だった日」であると述べている。 明治4年12月1872年1月)、正七位叙され乃木源三は、名を希典と改めたその後東京鎮台第3分営大弐心得および名古屋鎮台大弐歴任し明治6年1873年3月越前護法大一鎮圧出動する同年明治6年6月25日には従六位叙される。 明治7年1874年5月12日乃木家事上の理由から辞表提出して4か月間の休職に入るが、9月10日には陸軍伝令使となった。この職は、陸軍卿(当時山縣有朋)の秘書官または副官といった役割であった。なお、この時期乃木は、まっすぐ帰宅することはほとんどなく、夜ごと遊興にふけり、山縣から説諭を受けるほどだった。

※この「陸軍少佐任官」の解説は、「乃木希典」の解説の一部です。
「陸軍少佐任官」を含む「乃木希典」の記事については、「乃木希典」の概要を参照ください。

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