秋月種春
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 01:08 UTC 版)
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| 時代 | 江戸時代前期 | 
| 生誕 | 慶長15年5月11日(1610年7月1日) | 
| 死没 | 万治2年10月15日(1659年11月29日) | 
| 改名 | 黒帽子(幼名)、種孝、種隣 | 
| 別名 | 三郎(通称) | 
| 戒名 | 大洋院殿古巌宗帆大居士 | 
| 官位 | 従五位下長門守 | 
| 幕府 | 江戸幕府 | 
| 主君 | 徳川秀忠、家光、家綱 | 
| 藩 | 日向高鍋藩主 | 
| 氏族 | 秋月氏 | 
| 父母 | 父:秋月種貞、母:オチョウ(秋月種長の娘) 養父:秋月種長 | 
| 妻 | 佐久間勝之の娘 | 
| 子 | アグリ(六条有縄室)、種信、セン(早世)、半之丞、カン(早世)、湛栄(僧侶) | 
秋月 種春(あきづき たねはる)は、日向国高鍋藩2代藩主。初代藩主・秋月種長の甥・秋月種貞と種長の娘・オチョウの長男。
生涯
当初、種長の跡は種長の娘婿である種貞が継ぐこととなっていた。しかし、種貞は病弱であったために廃嫡され、その息子で種長の外孫である種春が代わって養子となり、慶長19年(1614年)に種長の死去により跡を継いだ。
幼少で跡を継いだため、15歳になるまで高鍋への下向が叶わず、その間に藩政を牛耳った白井種盛・種重の家老親子の専横、およびそれが発端となって発生した「上方下方騒動」という40年近くにも及ぶ騒動に悩まされ続けた。
万治2年(1659年)、50歳で死去し、跡を長男の種信が継いだ。
系譜
父母
正室
- 佐久間勝之の娘
子女
- 秋月種信(長男)生母は正室
- 秋月半之丞
- 湛栄 ー 僧侶
- アグリ ー 六条有縄室
- セン ー 早世
- カン ー 早世
 
固有名詞の分類
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