後継者危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 12:28 UTC 版)
「1961年の国際連合事務総長の選出」の記事における「後継者危機」の解説
ソ連は、事務総長を置く代わりに、冷戦時代における「3つの世界」(東側諸国・西側諸国・第三世界)から1人ずつ指名された3人によるトロイカ体制を採用することを推し進めていた。ソ連は、13人の事務次長のうち、ソ連のゲオルギー・P・アルカデフ、アメリカのラルフ・バンチ、インドのチャクラバルティ・V・ナラシンハン(英語版)の3人を指名することを推奨した。しかし、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領は「トロイカ(英語版)は馬は3頭いても御者は1人しかいない」と反対した。9月22日、アメリカのディーン・ラスク国務長官は「(後継の事務総長を)直ちに合意することはできない」と認め、事務総長職代行を置くことを提案した。 国連憲章には事務総長が任期途中で職務を執行できなくなった場合についての規定がないため、ハマーショルドの後任を探す問題は、いくつかの法的な問題を含んでいた。アメリカとイギリスは、ハマーショルドの残任期間については、総会が独自に決定できると主張した。ヨーロッパの数か国は、「事務総長」と呼ばれる人物を選ぶには安全保障理事会の決議が必要であるため、総会が決定した者が「事務総長代行」という肩書きを持つことはできないと指摘した。ソ連、インド、アイルランド、スカンジナビア諸国は、ハマーショルドの後任を選ぶためには安全保障理事会の決議が必要だと主張した。
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