スウェーデン陸軍の苦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/25 15:49 UTC 版)
「スコーネ戦争」の記事における「スウェーデン陸軍の苦闘」の解説
デンマークにとって有利な事は、当時のスウェーデン海軍が弱体化していたと言う事だった(スウェーデン陸軍もまた弱体化していた)。デンマーク軍はスコーネに上陸し、占領する事に成功した(現地スコーネでは分離主義者によるゲリラ活動がスウェーデンに対し行われており、不穏な情勢となっていた)。同時にノルウェー軍も北から侵攻した。しかしスウェーデンは、国王カール11世が親征してスコーネに進撃した。前哨戦であるハルムスタッドの戦いでスウェーデン軍がデンマーク軍を退けた事でデンマーク軍とノルウェー軍の合流が避けられ、イェーテボリは解放された。そして1676年、双方の本軍がルンドで会戦した。この戦いでスウェーデンが勝利し、デンマークは退却した。ルンドの戦いは両軍で一万近い戦死者を出し、北欧史上最も陰惨な戦いであった。 ルンドの戦いは、スウェーデンがスコーネ全土を奪回するきっかけとなった戦闘だが、なおも一進一退の攻防が続いた。陸戦においてスウェーデン軍は苦闘を続けた後、1678年にスコーネ全土を奪回する事に成功する。しかし他スウェーデン本土にノルウェー軍が深く入り込み、撃退するには程遠い状況であった。その一方、スウェーデンは、カール11世のスウェーデン陸軍の指揮を通じて指導力に対する信頼が生まれる事となった。
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