スウェーデン統治下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/29 03:14 UTC 版)
1648年、ヴェストファーレン条約で、ヴィスマールはその支配権と都市領主の称号を神聖ローマ帝国からスウェーデンに譲渡された。こうしてスウェーデンの君主は神聖ローマ帝国内に所有する事となったヴィスマール及び他の領地の「公」または「帝国諸侯」として帝国議会に参加するようになった。1653年には、スウェーデン諸領の最高裁判所がヴィスマールに設置された。1803年スウェーデンはヴィスマールとその支配権をメクレンブルクに「100年後に買戻す権利を自国が保有する」という条件を付きで、125万8千リグスダレルの担保として譲渡した。このスウェーデンの付けた条件のため主権の所在が曖昧となり、ヴィスマールは1897年までメクレンブルクの議会に代表を送ることが出来なかった。1903年スウェーデンは最終的にその権利を放棄した。 ヴィスマールは都市固有の旗を掲揚する権利など古くからの都市の特権の名残を今日まで持ち続けている。 19世紀の過渡期におけるヴィスマールの主要な生産品は、鉄鋼、機械、紙、ルーフィング原紙(屋根葺きの下地用に加工された紙)、アスファルトであった。また、とりわけ海の近くに位置する立地条件の良さから穀物、脂肪種子、バターの輸出及び石炭、材木、鉄の輸入などの交易が盛んに行なわれていた。ヴィスマール港は喫水5メートルの船舶が通航可能な水深があり、船を直接港に横付けしての積み荷の揚げ降ろしが可能だった。
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