カルタゴ王権の弱体化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/14 17:09 UTC 版)
「ハミルカル1世」の記事における「カルタゴ王権の弱体化」の解説
ヒメラでの敗北は、カルタゴの政治、経済双方に影響を与えた。政治的には、古くからの貴族からなる政府が失脚し、市民の力が強くなった。「王」は依然として選ばれたものの、その権力は低下し、元老院と「104人裁判所」が政治を支配し、またスフス(ローマの執政官に相当)の影響力が強まった。経済的には中東との海洋貿易はギリシア本土とよって遮断され、マグナ・グラエキアの植民都市はカルタゴの貿易業者をボイコットした。このために地中海の西側との海洋貿易と、東側とのキャラバン貿易が開始された。ハミルカルの息子のギスコは追放され、その後70年間シケリアのギリシア都市に対する攻撃や、ギリシアと紛争を起こしていたシケリア先住民・エトルリア人に対する支援は行わなかった。この間にシュラクサイはシケリアのギリシア都市の指導的立場を得た。ギリシアに対する軍事行動がなかった事から、カルタゴはヒメラの戦いのあとしばらくの間、軍事的能力がかなり低下していたことが示唆される.。
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