カルタゴ準備完了
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:13 UTC 版)
「アクラガス包囲戦」の記事における「カルタゴ準備完了」の解説
カルタゴ元老院は、遠征軍の指揮を「ギリシア嫌い」のハンニバル・マゴに委ねようとしたが、高齢を理由に一旦はこれを断った。しかしながら、彼の親族であるヒミルコが副官に任命されると、ハンニバル・マゴは熱心に準備を開始した。カルタゴ市民以外からも、アフリカ、イベリア半島、イタリアから兵士が集められ、総兵力は120,000に達した(おそらくこの数字は過大で、実際には60,000程度と思われる)。紀元前406年の春までに三段櫂船120隻に加え、輸送船1,000隻が準備された。紀元前480年および紀元前409年の遠征(三段櫂船60隻)に比較すると三段櫂船が倍増しているが、これはシュラクサイ海軍がギリシア本土から戻ってきており、カルタゴの遠征の重大な脅威となると考えられたためであった。実際に、これは賢明な処置であった。 ハンニバル・マゴは、主力軍の出帆に先立ち、40隻の三段櫂船をシケリアに派遣した。カルタゴ艦隊とエリュクスのギリシア艦隊との間で小規模な海戦が発生し、カルタゴは15隻を失った。その後、三段櫂船50隻を前衛とし、主力部隊が出帆した。数で劣るギリシア艦隊は戦闘を避けたため、カルタゴ軍はモティア近くに無事に上陸した。
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