カルタゴ王となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:08 UTC 版)
ヒミルコは紀元前405年から398年まで「王」に選出されており、この間の一時期にはカルタゴに滞在していた。新たにカルタゴに支配されることとなったギリシア都市は、その支配が厳しいと感じていたが、彼自身がシケリアのカルタゴ領を統治したかは知られていない。紀元前404年になるとディオニュシオスは条約を破って、シケル人都市であるヘルベッススを攻撃したが、カルタゴはペストで弱体化していたと思われ、これに対する行動は起こしていない。紀元前403年にはディオニュシオスはシュラクサイで反乱軍に包囲されたが、カルタゴは救援のために傭兵を送ってその権力を復活させている。 紀元前400年から紀元前398年にかけて、ディオニュシオスはシュラクサイの防備を大幅に強化し、大型弩弓や五段櫂船といった新兵器を開発して軍を強化した。紀元前398年、ディオニュシオスはカルタゴ領モティアを攻撃し(モティア包囲戦)、彼自身がカルタゴに仕掛けた4回の戦争の最初のものを開始した。ギリシア都市と先住民はカルタゴから離反しディオニュシオスに加担した。カルタゴ側に留まったのは、パノルムス、ソルス、セゲスタ、エンテラ、アンキラエの5都市のみであった。ギリシア軍はモティア、セゲスタ(セゲスタ包囲戦)およびエンテラを同時に包囲した。他方、ヒミルコも遠征軍の組織を開始した。
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