カルタゴ建国伝説とは? わかりやすく解説

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カルタゴ建国伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 05:00 UTC 版)

カルタゴ」の記事における「カルタゴ建国伝説」の解説

カルタゴ建国に関して確実なのは、ティルスを母市としたフェニキア人建設したこと、ティルスと同じメルカルト (Melqart) が町守護神であったことなどである。カルタゴは同じフェニキア都市先に入植されたウティカガデス寄港地として開かれた考えられている。なお、カルタゴ遺跡からの出土品では紀元前8世紀後半のものが最も古い。 ティルス女王ディードーが兄ピュグマリオーン (Pygmalion of Tyre) から逃れてカルタゴ建設したとされるディードー主神メルカルトの神官の妻だったが、ピュグマリーオンがディードーの夫を殺害したためにテュロス去ったローマ歴史家グナエウス・ポンペイウス・トログスの『ピリッポス史』によれば、岬に上陸したディードーは、1頭の牛の皮で覆うだけの土地求めた。岬の住人承知をすると、細く切った皮で紐を作って土地囲い、丘全体手に入れる。この丘はギリシア語で「皮」を意味するビュルサ呼ばれるようになったビュルサには近隣の人々が集まるようになり、同じくフェニキア系の都市であるウティカから使者訪れ都市の建設が始まる。皮で囲まれ土地については、地代としてアフリカ人貢租支払うことになり、前5世紀まで支払い続いたとされる古代ローマ詩人ウェルギリウスは、上記とは異なディードー伝説を『アエネイス』で書いている。 ポンペイウス・トログスによるディードー伝説従えばカルタゴテュロスによる正規植民都市ではなく亡命者土地にあたる。また、神官の妻だったディードー宗教的にはピュグマリーオンよりも正統属しており、メルカルト信仰の中心テュロスからカルタゴ移ったことも意味するビュルサの丘は、現在のサン・ルイの丘にあたる。古代ギリシアローマ歴史家らの史料ではトロイ戦争紀元前12世紀頃)前、紀元前820年頃や紀元前814年頃にそれぞれ建国されたという記述があるがいずれも裏付はない。ちなみにチュニジア政府1987年に「カルタゴ建国2800年祭」を行っており、「紀元前814年」が一般的にカルタゴ建国年と見なされている。

※この「カルタゴ建国伝説」の解説は、「カルタゴ」の解説の一部です。
「カルタゴ建国伝説」を含む「カルタゴ」の記事については、「カルタゴ」の概要を参照ください。

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