カルタゴ軍のシケリア遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:28 UTC 版)
「セリヌス包囲戦」の記事における「カルタゴ軍のシケリア遠征」の解説
紀元前409年の春、60隻の三段櫂船の護衛の下、兵士、補給物資、攻城兵器を乗せた1,500隻の輸送船がアフリカからシケリアのモティアへと向かった。シケリアのカルタゴ人都市とセゲスタからも兵士が召集され、モティアで合流した。セリヌスに進発する前に、ハンニバル・マゴは兵士達に1日の休息を与えた。セリヌスに向かう途中でその衛星都市であるマザラ(現在のマツァーラ・デル・ヴァッロ)を占領した。マザラは戦争の間、カルタゴ軍の補給基地として利用された。攻城兵器は陸兵が運搬し、カルタゴ艦隊はモティアに留まった。騎兵部隊がモティアを偵察していたため、セリヌスはカルタゴ軍の接近を知っていた。セリヌス市民は防衛準備を行い、市の外に出ていた市民は全て城壁内に避難し、食料品を備蓄した。またゲラとシュラクサイに救援を要請した。
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