カルタゴ軍到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:16 UTC 版)
紀元前405年から紀元前397年の間のカルタゴの動向に関しては、帰国したシケリア遠征軍が持ち込んだペストが流行したということ以外ほとんど知られていない。いずれにせよ、前回と同じくヒミルコがこの危機に対処することとなった。傭兵軍を編成している間(カルタゴは常設の陸軍を有していなかった)、ヒミルコは三段櫂船10隻を使ってシュラクサイを襲撃した。シュラクサイの港に突入し、発見した船を全て破壊した。しかし、陸軍は同行していなかったため、スキピオが紀元前209年のカルタゴ・ノウァの戦いで見せたような、都市自体に対する攻撃は実施できなかった。 続いて、100隻の三段櫂船をまずセリヌスに向かわせた。セリヌスには夜間に到着して、翌日にはモティアに向かい、その南側に停泊していたギリシア軍輸送船を全て焼き払った。その後モティアと西側のルンガ島(現在のグランデ島)の間に向かい、北側のラグーンの浅瀬に停泊しているギリシア艦隊を罠にかけようとした。
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