カルタゴ軍第七回遠征(紀元前368年-紀元前367年):ハンノ対ディオニュシオス1世
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ディオニュシオスは紀元前368年にまたもカルタゴ領を攻撃し、シケリア西端のリルバイオン(現在のマルサーラ)を包囲した(リルバイオン包囲戦)。しかし、ハンノ率いるカルタゴ艦隊の奇襲によりシュラクサイ海軍が敗北したため撤退し、紀元前367年にディオニュシオスは死亡した。その後22年間、カルタゴとシュラクサイの平和が保たれた。シュラクサイのディオンがカルタゴとの講和交渉を行い、カルタゴはハルキアス川とヒメラス川以西の勢力を維持することとなった。
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