カルタゴ軍第六回遠征(紀元前378年-紀元前376年):マゴ2世・マゴ3世対ディオニュシオス1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:12 UTC 版)
「シケリア戦争」の記事における「カルタゴ軍第六回遠征(紀元前378年-紀元前376年):マゴ2世・マゴ3世対ディオニュシオス1世」の解説
紀元前383年、ディオニュシオスは再び敵対行動を開始した。マゴはタラス(現在のターラント)を盟主とするイタリア半島のギリシア都市と同盟を結び、ブルティウム(現在のカラブリア州)に軍を上陸させた。このため、シュラクサイは二正面作戦を余儀なくされた。最初の4年間の詳細は不明であるが、紀元前378年にディオニュシオスはカバラの戦いでマゴに勝利した。カルタゴはアフリカとサルディニアでの反乱にも苦しんでおり、講和を考慮せざるを得なかった。しかしディオニュシオスはカルタゴがシケリア全土から撤退することを求めたため講和は決裂し、マゴ3世(マゴ2世の息子)は紀元前376年にクロニウム山の戦いでシュラクサイ軍に大勝した。その後に講和条約が結ばれたが、ディオニュシオスは1,000タレントの賠償金を支払い、カルタゴはシケリア西部の支配を維持することとなった。
※この「カルタゴ軍第六回遠征(紀元前378年-紀元前376年):マゴ2世・マゴ3世対ディオニュシオス1世」の解説は、「シケリア戦争」の解説の一部です。
「カルタゴ軍第六回遠征(紀元前378年-紀元前376年):マゴ2世・マゴ3世対ディオニュシオス1世」を含む「シケリア戦争」の記事については、「シケリア戦争」の概要を参照ください。
- カルタゴ軍第六回遠征:マゴ2世・マゴ3世対ディオニュシオス1世のページへのリンク