カルタゴ軍第四回遠征(紀元前398年-紀元前396年):ヒミルコ2世対ディオニュシオス1世
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ディオニュシオスは勢力を再建していたが、紀元前398年に平和条約を破り、モティア包囲戦を開始、これを占領し、セゲスタも包囲した。ヒミルコは翌年に大規模な遠征軍を派遣し、モティアを奪回し、前回とは異なりシケリア北岸を進軍してメッセネ(紀元前5世紀の初めにザンクルから改名、現在のメッシーナ)も占領した(メッセネの戦い)。その後カルタゴ軍はシュラクサイに向かうが、カタナ沖の海戦でもシュラクサイ軍に大勝し、続いて第一次シュラクサイ包囲戦を開始した。紀元前397年中はカルタゴ軍が優勢であったが、紀元前396年に再びペストが蔓延し、結果カルタゴ軍は崩壊した。この敗北で新たに占領した地域を失ってしまったが、シケリア西部とエリミ人地域は確保した。講和条約は結ばれなかった。カルタゴに戻ったヒミルコは自決した。
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