カルタゴ軍第五回遠征(紀元前393年-紀元前392年):マゴ2世対ディオニュシオス1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:12 UTC 版)
「シケリア戦争」の記事における「カルタゴ軍第五回遠征(紀元前393年-紀元前392年):マゴ2世対ディオニュシオス1世」の解説
ディオニュシオスは再び軍を再建し、紀元前396年にソルスを破壊した。紀元前396年から393年にかけてはタウロメニオン包囲戦を含み、シケリア東部で活動した。この間、カルタゴはアフリカでの反乱鎮圧に忙殺されていた。紀元前393年、ヒミルコの後継者となったマゴ2世は、シケリアに残留していた手持ちの兵力だけでメッセネに向かったが、途中アバカエヌムの戦いでディオニュシオスに敗北した。カルタゴ本国からの増援を受け、マゴはシケリア中央部に対する遠征を開始したが、紀元前392年のクリサス川の戦いで両軍はこう着状態に陥った。このため、おおむね現状の勢力圏を認める講和条約が結ばれた。
※この「カルタゴ軍第五回遠征(紀元前393年-紀元前392年):マゴ2世対ディオニュシオス1世」の解説は、「シケリア戦争」の解説の一部です。
「カルタゴ軍第五回遠征(紀元前393年-紀元前392年):マゴ2世対ディオニュシオス1世」を含む「シケリア戦争」の記事については、「シケリア戦争」の概要を参照ください。
- カルタゴ軍第五回遠征:マゴ2世対ディオニュシオス1世のページへのリンク