カルタゴ軍第八回遠征(紀元前345年-紀元前343年):ヒケタス・ハンノ・マゴ3世対ディオニュシオス2世・ティモレオン
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紀元前345年、シュラクサイに内紛が発生し、レオンティノイの僭主ヒケタスはディオニュシオス2世のシュラクサイを攻撃した。ヒケタスはカルタゴとコリントスに援軍を求めたが、コリントスへの援軍依頼は欺瞞であった。これに怒ったコリントスはティモレオン率いる軍を派遣した。ティモレオンのコリントス軍は少数であったが、アドラノンでヒケタスに勝利した。カルタゴはハンノを司令官とする大軍を派遣し、途中でマゴに交代した。ヒケタスとマゴはシュラクサイを包囲していたが、補給路を断つためにカタナに向かった隙に、出撃したコリントス軍に包囲軍が敗退した。この後マゴは積極的な行動を行わずに撤退した。最終的にティモレオンはシュラクサイを奪取して僭主政を廃止し、民主政を復活させた(第二次シュラクサイ包囲戦)。ディオニュシオス2世はコリントスに亡命した。カルタゴに戻ったマゴは自決した。
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