シュラクサイの防備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:14 UTC 版)
「シュラクサイ包囲戦 (紀元前397年)」の記事における「シュラクサイの防備」の解説
シュラクサイは元々シケリア本島から南に突き出たオルティジャ島に建設された都市であり、アゴラ周囲に城壁があった。紀元前415年のアテナイ軍のシケリア遠征の際に本島側のティカおよびアクラディナ地区が城壁で守られた。ディオニュシオスはエピポライ台地にまで城壁を拡大し、ギリシア世界では最大の城壁を有する要塞都市となった。 ディオニュシオスはオルティジャ島の城壁を再建し、またシケリア本島とつながる地峡にも城壁が築かれた。城壁には監視塔が一定間隔で置かれ、特に強固に作られていた。地峡の西部にはドックと大きな港があり、東側には「ラクシウム」と呼ばれる小さな港があった。ラクシウムも城壁と堤防で防御されており、60隻の三段櫂船を収容できた。堤防の間には閘門があり、一度に1隻ずつ通過できた。オルティジャ島には宮殿が2箇所建設され、1つは地峡の近くにありディオニュシオスはそこに居住した。もう1つは南側にあった。地峡自体にも2つの城壁が建設された。1つはオルティジャ島と地峡の間にあり(さらに掘り切りがあり、橋が架けられていた)、もう1つは地峡とシケリア本島を隔てた。地峡には5箇所の城門があり、これらの城門がシケリア本島とオルティジャ島の交通を管理していた。 ディオニュシオスはオルティジャ島に彼に忠実な傭兵と支援者を居住させた。エピポライ台地には、城壁に加えて巨大な地下構造物を有するエウリュアロス要塞が建設され、台地からの侵入を防御していた。また、アテナイのシケリア遠征に備えてアクラディナ地区に建設されていた城壁と接続した。エピポライ台地に建設された城壁は全体が石造りであり、厚さが2-4.5メートル、高さは6メートル程度であった。
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