シュラクサイの僭主となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 09:34 UTC 版)
「ゲロン (シュラクサイの僭主)」の記事における「シュラクサイの僭主となる」の解説
ゲロンはその後、5年間はゲラおよび他の都市を僭主として平和に治めた。紀元前485年、ガモリと呼ばれるシュラクサイの貴族達がシュラクサイの一般市民から追放され、援助を求めてゲロンの所に来た。これを領土拡大の機会と捉えたゲロンは大軍をシュラクサイに送り、ほとんど、または全く抵抗を受けずにこれを占領し、ガモリをシュラクサイに復帰させた。 紀元前485年、ゲロンはついにシュラクサイの僭主となり、ゲラには弟のヒエロンを残した。ヘロドトスによれば、彼はゲラ市民の半数をシュラクサイに移住させ、加えてカマリナの全貴族を追放した。 ゲロンは続いて近隣のエウボエアとメガラ・ヒュブラエア(紀元前483年)を征服し、貴族を追放して他の住民は奴隷とした。ヘロドトスによると、ゲロンは高貴な家庭に生まれ、貴族階級に囲まれて育ったため、下層階級の人間を気にかけることはなかった。 ゲロンの支配の下、シュラクサイは繁栄した。シュラクサイに壮大な建築物を建てるとともに、傭兵を用いて巨大な軍隊を設立した。傭兵の多くは先住民のシケル人で、いくらはギリシア本土から雇われ、総兵力は10,000に達した。これら傭兵の多くはかつてゲロンと戦った経験があったと思われる。これら傭兵にはシュラクサイの市民権が与えられた、 ゲロンはゲラ西方のアクラガス(現在のアグリジェント)の僭主テロンの娘と結婚し、アクラガスと同盟を結んだ。紀元前481年にはアテナイの使節が訪れ、予想されるクセルクセス1世のペルシア帝国との戦争に対する支援を求めた。ゲロンは自分がギリシア陸軍または海軍の司令官に任じられた場合、陸兵28,000と200隻を提供すると回答した。しかしどちらの地位も得られなかったため、ギリシア本土に対する兵の派遣も補給の提供も拒否した。実際には、ペルシア軍が勝利した場合に備えて、クセルクセスに対する贈り物の準備もしていた。
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