シュラクサイの男の無作法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 18:33 UTC 版)
「饗宴 (クセノポン)」の記事における「シュラクサイの男の無作法」の解説
すると、ソクラテス等が自分たちの会話に夢中で、演目に関心を示さないことに苛立ったシュラクサイの男が、ソクラテスにつっかかる。(ちょうど前年(紀元前423年)に上演されたばかりの、ソクラテスが揶揄されているアリストパネスの喜劇『雲』の内容にちなんで)ソクラテスに、あなたは「思索家(空想家)」と呼ばれているかのソクラテスかと、あえて尋ねる。 ソクラテスが、「無思索な者」と呼ばれるよりは、その呼び名の方が良いと返答すると、シュラクサイの男は(『雲』の中で描かれているように)「自然哲学的・無神論的な思索家(空想家)」であると思われてないとすれば、確かにそうだろうと、やり返す。 ソクラテスが、「それでは、神々よりも天空の高いところにあるものを、何か知っているのか」と問うと、シュラクサイの男は、「ソクラテスは神々よりも「最も無益な事柄 (anōphelestatōn)」に関心を持っていると、人々は(『雲』の影響で)話している」と述べる。 するとソクラテスは、その言葉をもじって、「神々が天上から(anōthen)雨や光をもたらし、我々を益している(ōphelousin)こと」に関心を持っているのなら、やはり自分は神々に関心を持っていることになると、冗談で返しつつ、もし自分がつまらないことを言っているとしたら、その原因は自分を煩わせているシュラクサイの男の側にあると指摘する。 それでもシュラクサイの男は引き下がらず、(『雲』の内容にちなんで)ノミの歩幅で自分たちの距離を教えてくれるよう要求する。
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