アテナイのシケリア遠征
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「セリヌス包囲戦」の記事における「アテナイのシケリア遠征」の解説
詳細は「シケリア遠征」を参照 セリヌスのギリシア人はマツァロ川の上流を渡り、セゲスタとの国境近くの論争中の土地を占拠し、セゲスタに対する襲撃を開始した。セゲスタはこれを中止するよう要求したが聞き入れられなかっため、占拠された土地を奪還しようとしたが、戦闘となって敗北した。続いてセゲスタはアクラガスとシュラクサイに介入を求めたが失敗し、それどころかシュラクサイはセリヌスに加担して艦隊を派遣し、セゲスタの海上封鎖を行った。危機に陥ったセゲスタはカルタゴに外交使節を派遣して救援を求めたが、カルタゴはこれを拒否した。紀元前426年にセゲスタはアテナイが最初にシケリアに侵攻した際に同盟関係を結んでいたため、アテナイにも使節を派遣して救援を請うた。アテナイはこれを受けて紀元前415年から紀元前413年にかけてシケリア遠征を行うが、セリヌスとシュラクサイを含むシケリア連合軍に敗北した。アテナイと同盟していたセゲスタの立場は危険なものとなった。
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アテナイのシケリア遠征
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詳細は「シケリア遠征」を参照 紀元前416年にセリヌスとセゲスタの紛争が再発し、これがアテナイによる大規模なシケリア遠征を引き起こした。セリヌスはシュラクサイに支援を求め、また自身でセゲスタを封鎖することも可能であった。しかしセゲスタはアテナイに救援を求めた。アテナイはセゲスタ救援のための早急な行動は行わなかったが、その後のセゲスタとの紛争に関する記録はない。一方、アテナイの遠征軍は紀元前415年にシケリアに到着した。トゥキディデスによれば、将軍の一人であるニキアス(en)は、アテナイ軍をセリヌスに向かわせ寛大な条件で降伏させるべきと提案したが、この提案は採用されず、アテナイ軍はシュラクサイに向かった。結果として、その後の進展においてセリヌスの演じた役割は小さかった。しかしながら、セリヌスはシュラクサイに援軍を送ったと言われ、また紀元前413年春には、シュラクサイでアテナイと戦うスパルタのギュリッポス支援のためのペロポネソス同盟軍がリビュアからセリヌスに向かっていたが、暴風でアフリカ近くに吹き流されたと記述されている。
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