アテナイでの生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 07:01 UTC 版)
古代の作家や現代の学者の間で論争が絶えない部分ではあるが、アテナイでアスパシアはヘタイラになり遊女屋を経営していた可能性がある。 ヘタイラの女性は高級娼婦として働くのに加え、プロの高級芸能人として活躍していた。ヘタイラは並外れた美貌を備えていただけでなく、教養があり(アスパシアのような高水準の教養を持つ女性も多くいた)、自立した生活を送り税金を納めていたという点で、一般的なアテナイ女性とは一線を画していた。 ヘタイラはおそらく自由な女性というものにもっとも近い存在だったのだろう。そのアテナイ社会でも特に華やかな存在感を放っていたヘタイラがアスパシアであり、ヘタイラの典型例にあたるだろう。プルタルコスによれば、アスパシアはイオニアで有名だったもう一人のヘタイラ・タルゲリアと比較されたという。 アテナイでは法的制約により、結婚すると家庭に縛られるということが女性が伝統的に辿ってきた宿命としてあった。しかしアテナイ人でないこととおそらくヘタイラという職業のおかげでもあるが、アスパシアはその制約を受けなかったため、アテナイの市民社会にも参加することができた。紀元前440年代前半には政治家ペリクレスと愛人関係になり、ペリクレスが先妻と離婚後(前445年)はペリクレスと同棲を開始した。但し彼女が正式にペリクレスの妻となったかどうかについてはいまだに議論が分かれている。二人の間に生まれた息子・小ペリクレスが前440年に生まれたことは間違いないようだが、もしアスパシアが前428年にリシクレスの子を出産したのであれば、アスパシアは相当若い年齢で小ペリクレスを産んだことになる。 イオニア社会においてアスパシアは、その美貌もさることながら、むしろ話術や助言の才能で注目を集めていた。プルタルコスの記述によると、アスパシアは自堕落な暮らしを送っていたのにも関わらずアテナイの男たちは妻を連れてアスパシアの話を聞きに行ったという。
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