アテナイとの抗争とペルシャ戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:13 UTC 版)
「テーバイ」の記事における「アテナイとの抗争とペルシャ戦争」の解説
紀元前6世紀後半、テーバイ人たちははじめてアテナイ人たちと衝突を起こした。ボイオーティア側の小さな村落であるプラタイアが独立を維持するためにアテナイ人が支援したのが契機であり、紀元前506年にはアッティカへの侵攻が撃退されている。 紀元前480年、アケメネス朝のクセルクセス1世がギリシャに侵攻する(ペルシャ戦争)。テルモピュライの戦い(紀元前480年)においてテーバイ軍400人はギリシャ軍に参加し、スパルタのレオニダス1世とともにテルモピュライで最後まで踏みとどまるものの、ペルシャへ投降。レオニダスらの「玉砕」と比較して「愛国心」がないと非難されるその姿勢は、しばしばアテナイとの険悪な関係で説明される。テーバイの指導的な貴族たちはペルシャ軍への参加を決定し、テーバイはペルシャ軍のギリシャ攻略拠点となった。 プラタイアの戦い(紀元前479年)において、テーバイ軍はペルシャ軍の一員として激しく戦うものの、戦いはギリシャ連合軍が勝利を収めた。テーバイはギリシャ連合軍によって攻略され、ボイオーティア同盟の盟主の座から引き下ろされるなどの懲罰が加えられた。スパルタはテーバイをデルポイの隣保同盟から除名しようとしたが、アテナイの仲裁によって免れている。
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