アテナイの社会と文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:48 UTC 版)
アテナイは、市民、外国人であるメトイコイ、奴隷の3つの身分に分かれていた。最盛期のアテナイは、3万人弱の市民(青年の男性。家族等を含めると約8万人強)、奴隷6万人強、商業や学芸などに従事するメトイコイ3,000~4,000が居住した。上流階層の男性は7歳になると、私学に通って読み書き、計算、体育、音楽を修得した。成人すれば戦争や民会などに参加し、平時にはアゴラ(αγορά)に集って体育に汗を流した。女性の地位は低く、家庭内の仕事や家内産業に従事し15歳くらいで親が決めた30歳くらいの男性と結婚した。 奴隷は例外的に解放されることもあったが、農作業、商売、鉱夫、職人、家内の雑用、公文書の保管、市中警備などあらゆる部門で非常に酷使され、過酷かつ不健康な状態に置かれた。4~5人家族であれば、男性の奴隷1名を公共工事に従事させて得る報酬で生活ができた。解放奴隷はメトイコイに属した。 ギリシア各地から学者、芸術家が集まり文化の花が開き、ギリシア哲学のソクラテス、プラトン、アリストテレス、劇作家のアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス(→ギリシャ悲劇)、アリストパネス(→ギリシャ喜劇)、彫刻家のペイディアス、歴史家のトゥキディデス、著述家のクセノポンらが輩出した。皮肉なことに彼らの多くがアテナイの没落を目にして役職の直接選挙制に否定的な思想を唱えた。
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