アテナイ包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:43 UTC 版)
「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「アテナイ包囲」の解説
一個軍団をノラの包囲に残し、スッラはプロコンスルとして5個軍団を率いてギリシャに上陸した。ミトリダテスの将軍アルケラオスに付いていたボイオーティアはローマに寝返り、スッラはアテナイを包囲した。 アテナイはアルケラオスに占領されており、本国の状況が気になるスッラは、アテナイの外港ピレウスを激しく攻め立てた。急ぐ彼はアカデメイアやライシーアムの聖なる森を切り倒して利用し、デルポイやオリンピアなどから神聖な供物を提供させ戦費を捻出した。しかしピレウスは頑強に抵抗し、包囲は冬を越えた。スッラはルキウス・リキニウス・ルクッルスをクァエストルとして従軍させており、戦争中ペロポネソスで使用する硬貨を鋳造させた。また、海上封鎖を破るために船を調達させるべく、ルクッルスをエジプトやリビアに派遣した。ルクッルスは隠密裏にアレクサンドリアまで到達した。 アテナイの飢餓は徐々に深刻なものとなり、アルケラオスはピレウスから幾度か補給を試みたが、内通者が出て失敗した。ミトリダテスは息子アルカティアスに部隊を与えマケドニアからスッラを攻撃させようとしたが、アルカティアスは死去してしまった。スッラは抵抗の激しいピレウスの力攻めを諦め、アテナイの兵糧攻めに切り替えた。敵の守備に穴があることを知ったスッラは夜間奇襲をかけ、紀元前86年3月、アテネを陥落させた。スッラはピレウスは焼き払ったが、同行していた元老院議員の説得もあり、アテナイを略奪したものの破壊はせず、自治権はそのままにした。スッラはいまだ船を調達できずにいたため、アルケラオスはピレウスから脱出した
※この「アテナイ包囲」の解説は、「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の解説の一部です。
「アテナイ包囲」を含む「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事については、「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の概要を参照ください。
- アテナイ包囲のページへのリンク