アテナイ軍上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:52 UTC 版)
アテナイ艦隊はまず同盟国軍と合流するためにケルキラ島に向かい、艦隊をそれぞれの指揮官に割り当て、3つに分割した。また、シケリアでの同盟都市の情勢を探るために3隻が先行して派遣された。この時点で、艦隊は三段櫂船134隻(内100隻はアテナイのもの)、陸上兵力は重装歩兵5,100(内アテナイ兵2,200)、弓兵480、投擲兵700、その他軽装歩兵120、騎兵30、加えて130隻の補給船があった。 南イタリアの海岸沿いのギリシア都市と同盟できる可能性はほとんど無く、さらに先行させた3隻がもたらした情報では、セゲスタには彼らが約束したような資金は無いということであった。ニキアスはこれを予想していたが、他の二人にとっては驚きであった。ニキアスは彼らの戦力をセリヌスに見せ付けた後に帰還すれば良いとし、アルキビアデスはシュラクサイの親アテナイ派を援助し、次にシュラクサイとセリヌスを攻撃すべきと主張した。ラマコスはシケリアの支配的な都市国家であるシュラクサイを直ちに攻撃すべきと述べた。 艦隊はカタナ(現在のカターニア)に進んだが、到着した際にアルキビアデスに逮捕令が出ていることが分かった。ヘルマイ破壊の容疑だけでなく、エレウシスの密儀を行ったとの嫌疑もかけられていた。アルキビアデスは自身の船でアテナイに戻ることに同意したが、イタリア南部のスリイen)に停泊中にペロポネソス半島に向けて脱出し、スパルタへの亡命を求めた。アテナイは欠席裁判で死刑を宣告したが、彼の有罪は証明されたように思われた。スパルタに亡命すると、ペロポネソス同盟都市に対してアテナイの死活的な情報を提供した。 アテナイ艦隊は2つに分割され、陸軍は上陸してセゲスタの騎兵と合流した。アテナイ軍は直ちにシュラクサイを攻撃はせず、一旦カタナで冬営に入った。シュラクサイ軍は攻撃準備を整えてカタナに向けて進軍したが、アテナイ軍が再乗船してシュラクサイに向かったことを知った。シュラクサイ軍は直ちに引き返し戦闘に備えた。
※この「アテナイ軍上陸」の解説は、「シケリア遠征」の解説の一部です。
「アテナイ軍上陸」を含む「シケリア遠征」の記事については、「シケリア遠征」の概要を参照ください。
- アテナイ軍上陸のページへのリンク