ソクラテス、プラトン、アリストテレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)
「枢軸時代」の記事における「ソクラテス、プラトン、アリストテレス」の解説
ソフィストに対し、ポリスの一員としての自覚にたちかえって真理の絶対性を説いたのがソクラテス(BC469?–BC399?)である。かれは、「人間いかに生きるべきか」を思索の対象とした最初の思想家といわれる。その方法は問答(ディアロゴス、dialogos )を重視した「助産術」とよばれるものであり、それをもとに人びとに「無知の知」を説き、半面では民主政を批判した。彼は市民の誤解と反感をうけて裁判にかけられたが、「悪法も法である」として死刑を甘受した。真の知を愛求したソクラテスの精神は、イデア論や理想国家論、魂の三分説を説くプラトンや、その弟子アリストテレスにうけつがれた。 アテネ出身のプラトン(BC427–BC347)は、理性によってのみとらえることのできる完全な性質をもった「ものそのもの」をイデア(idea)と呼び、世界を感覚でとらえられる現象世界と理性でとらえられるイデア界に分け、イデアにあこがれ、魂が完全なもの、真に価値あるものに向かおうとする情念をエロース(eros)と呼んで、理想主義的な哲学を展開した。プラトンの哲学は、のちにプロティノス(204年?-270年頃)ら新プラトン主義を生むなど西洋哲学、神学に大きな影響をあたえた。 それに対し、アレクサンドロス3世(大王)の家庭教師としても知られる、マケドニア王国出身のアリストテレス(BC384–BC322)はイデア論を批判し、経験を重んじた現実主義に立脚する思想を展開して、自然・人文・社会のあらゆる方面に思索をおよぼして、後世「万学の祖」と称されるようになった。なお、アリストテレスの哲学は、のちのイスラームの学問や中世ヨーロッパのスコラ学に大きな影響をおよぼした。
※この「ソクラテス、プラトン、アリストテレス」の解説は、「枢軸時代」の解説の一部です。
「ソクラテス、プラトン、アリストテレス」を含む「枢軸時代」の記事については、「枢軸時代」の概要を参照ください。
- ソクラテス、プラトン、アリストテレスのページへのリンク