ソクラテスとの対比
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 23:48 UTC 版)
「ニコマコス倫理学」の記事における「ソクラテスとの対比」の解説
アリストテレスは、倫理的性状に関して、好ましくなく避けるべきものとして「悪徳」「無抑制」「獣性」の三者を述べている。そして、それらと対立する言葉として「徳」「抑制」「(神的な、英雄的な)我々を超えた徳」を挙げている。また、「正しい判断を下していながら無抑制に陥る」ことの意味を、ソクラテスのそれと対比させている。ソクラテスは対話篇『プロタゴラス』において、「悪いことをするのは、無知による」という考えを採用している。つまり、悪いことをするのは、「認識を有していながら、快楽によって克服されるわけではなく、彼の有していたところのものは、実は単なる臆見でしかなかったのである」と主張するのである。それに対して、アリストテレスは、エウドクソスやプラトンを比較しながら、快楽(ヘドネー、肉体的なものも含み)を単独で「善」とせず、快楽に向かう「運動(キネーシス)」や「状態(ヘクシス)」や「生成(ゲネシス)」を考察する。そして、快楽を維持することが逆に「苦痛」を伴うことにも触れ、幸福な生活に向かう卓越性(アレテー)を伴った倫理的性状(エートス)として、中庸という概念を導いている(第7巻第1・2章、第10巻第2章など)。
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