悪名としてのソフィスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:37 UTC 版)
「ソフィスト」の記事における「悪名としてのソフィスト」の解説
ソフィストという名は当時からすでに悪い意味で通用することが多かった。彼らが金銭と引き換えに徳を教えるとしていたことから、家柄に見合う立派な人柄に子供を育てたいと考える富裕な人びとが主にその商売相手になっていたことや、目に見えない論理の力で無理やりに相手を打ち負かす詭弁の方法を教えているという噂が、大衆の反発を買ったことは当然であるといえる。 しかしながら重要なのは、ソフィストはその思想内容によって区別されるものではないということである。彼らが相対主義者、もしくは危険思想の持ち主であるという偏見は、プラトンの対話篇『ゴルギアス』『国家』の登場人物であるカリクレスやトラシュマコスなどの「ソフィスト」のイメージに由来するものだと考えられる。しかし、現実に彼ら(カリクレス、トラシュマコス)がソフィストであったという確証はなく、知られている断片の内容も相対主義を積極的に唱えたというよりは、世間の常識を彼らの流儀で強弁したものに過ぎない。 彼らが相対主義者として際立つのは、ソフィストをただ相手を説得する手管に秀でたものとして定義し、哲学者との区別を強調したソクラテスが存在するためである(実際のソクラテスの言動がいかなるものであったかは、本人は著作を一切しなかったため資料として存在しない。あくまでも、片鱗として、プラトンの対話編やクセノポンの「ソクラテスの思い出」などからうかがい知ることができるものとしてのソクラテス像である)。言論を用いた問答競技の方法に過ぎなかった弁証法(dialektikē)を「無知の知」の自覚のために用い、真理(プラトンではイデア)の探求に向かわせるというソクラテスとの対比によってソフィストは批判対象となった。つまり、ソフィストが「徳を教える」といいながら「徳」がいったい何であるかを問題にすることがなかったこと、すなわち、徳とは何かがわからないのに、それを教えることができると称してお金を取り、「徳のようなもの」として、ソフィスト自身の思想等を教えていたことが、初めて批判されることになったのである。 また、ソフィストを危険思想の持ち主であるとする偏見と対応するようにソクラテスを既存の道徳の擁護者であるとする見方(ニーチェの影響か)も存在するが、これも極端な図式化[独自研究?]である。 しかし、socialist→socialismなどに対応する語sophismには「詭弁」の意味しかない。sophist=「詭弁屋」というシンプルな理解も十分合理的だろう。[独自研究?]
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