無知の知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/05 14:28 UTC 版)
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無知の知(むちのち、ラテン語: ipse se nihil scire id unum sciat、古代ギリシア語: Ἓν οἶδα ὅτι οὐδὲν οἶδα、英語: I know that I know nothing)は、ソクラテスによる[矛盾 ]哲学からの言葉。
概要
自らの無知を自覚することこそが、真の認識に至る道であるということ[1]。自らは様々な先入観や思い込みにとらわれているということを知ったり自覚するということ[2]。
ソクラテス
ソクラテスの哲学を特徴付ける言葉である。知者であるのは神だけであるために、人間の本質というのは知者ではなく知を愛し求める存在であると規定されていた。このため哲学者とは、賢者や知者とされている者でも本性というのは神と比べてみれば無にも等しいということを明らかに自覚するということから始まるのである。自己が無知であるということを自覚するということが無知の知であり、ソクラテスの優位とは誰よりもこのことに優れていたということである[1]。
ソクラテスの友人がアポロン神殿でソクラテス以上の賢者はいるかと神に尋ねたところ、ソクラテス以上の賢者はいないという答が返ってきた。それを聞いたソクラテスはとても驚き、様々な有識者との対話を試み、次第に論破していった。ソクラテスは相手に質問をして、相手がその質問に答えられないために自らが無知であるということを自覚させていた。ソクラテスに論破された有識者や賢者は面白くないためソクラテスを裁判にかけ、ソクラテスは死刑となった[3]。
脚注
- ^ a b 小項目事典,世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,ブリタニカ国際大百科事典. “無知の知(ムチノチ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年12月21日閲覧。
- ^ “無知の知 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2023年12月21日閲覧。
- ^ “【 ソクラテスの名言】「無知の知」とは? ソクラテス思想や生涯をわかりやすく解説”. Domani (2023年1月3日). 2023年12月21日閲覧。
無知の知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:19 UTC 版)
本篇では、デルポイの神託に端を発するソクラテスの哲学者(愛智者)人生の経緯と共に、「無知の知」についての言及が成される。自分が知っていること以上のことを知っていると思い込む「智慧と愚昧を併せ持つ」状態に陥っている者達と対比的に、よく知りもしないことを知っていると過信しない「智慧と愚昧を持たずにあるがままでいる」者としてのソクラテス自身が言及される。 また、ソクラテスの用いる「問答法」が、そうした相手の智慧を吟味するためのものであることも併せて言及される。 この「無知の知」のモチーフは、その後も「死・死刑」「死後の世界」に言及するくだりで、死を恐れることもまた、よく知りもしないことを知っているかのように装うことであるとして、再度持ち出される。 なお、初期末の対話篇『メノン』では、この「無知の知」が、あるいは、初期対話篇で頻出する「アポリア」(行き詰まり)の自覚が、人々を、単なる「思いなし」(思惑、臆見、doxa ドクサ)への安住から引っ張り出し、原因・根拠を伴った理論的「知識」(episteme エピステーメー)へと至らしめる重要な契機となることが、明快に説明されている。
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