『メノン』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/06 23:36 UTC 版)
「アナムネーシス (哲学)」の記事における「『メノン』」の解説
『メノン』において、プラトンのキャラクター(そしてかつての師)のソクラテスはメノンから挑戦を受ける。これはソフィストのパラドックス、もしくは知識のパラドックスとして知られるようになった: :メノン: それではどのやうにして探究なさるのですか、ソクラテス、一般に何であるか知らないものを。その中の如何なるものを問題にして探究なさるのですか。いや、ともかくそれを探求して得た場合に、知らなかつた所のものがそれであるということをどうして知り得るのですか。 — プラトン『メノン』80d 言い換えれば、あるものが何であるかを識別する属性、特性、その他の記述的な目印(例えば物質的なものだとか、その他の特徴)を全く知らなければ、実際にそのあるものに到達したとしてもそれを認識することはない。また、結果的に、逆が真で、そのあるものの属性、特性、その他の記述的な目印を知っているならば、そのあるものを探し求める必要が全くなくなってしまう。この議論の流れの結果として、どちらの場合に転んでも「あるもの」を得ようとするのは無駄だということになる。『メノン』の場合は、知識を得るのは無駄だということになる。 これに対するソクラテスの応答によって「想起」説が発展することとなった。魂は不死であり、繰り返し甦ってくると彼は主張した。彼によれば、実は知識はいつも魂に内在している(『メノン』86b)が、魂が復活するたびに誕生の衝撃で忘れてしまう。そこで、人が学び知ったものとは、実は忘れていたものを回収しただけだということになる(一たびあるものが思い出されるとそれは真なる信念であり、理解による真の知識だったということになる)。そしてこのためにソクラテス(とプラトン)は自身を教師ではなく産婆とみなし、元から弟子の中に存在した知識を生まれさせる手助けをした。 この理論は、ソクラテスが奴隷の少年に幾何学に関する問いを問うているという構図で説明される。まず少年が間違った答えを答える。間違っていることを指摘されると彼は混乱するが、問いに答えることによってソクラテスは少年を真の答えに導くことができる。少年は答えを教えられることなく、かつて知っていたが忘れてしまったものを思い出すことで真理に到達する、というように話が終わることが多い。
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