「徳の教師」について2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 06:08 UTC 版)
「メノン (対話篇)」の記事における「「徳の教師」について2」の解説
35. ソクラテスは、アニュトスはソクラテスが彼らの悪口を言っていると思い込んでいるとメノンに述べる。アニュトスが「悪く言う」の意味を覚る時が来れば、怒るのをやめるだろうと。ソクラテスは、代わりにメノンに彼の国の優れた人物達は、「徳」を教えられると言い、その教師の役を引き受けているか否か問う。メノンは、彼らは時には「徳」を教えられると言うし、ある時はそうでないと言うと、述べる。ソクラテスは、ではそんな意見が一致しない人々を「徳」の教師と言えるか問う。メノンは、否定する。ソクラテスは、それではソフィスト達はどうが問う、「徳」を教えると公言する彼らは、本当に「徳」の教師だと思うか問う。メノンは、少なくともゴルギアスは、「人を弁論に秀でた者にする」と言っているだけで、「徳」を教えるなどとは言っていないし、他のソフィストがそれを約束しているのを聞くと、笑っていると言う。ソクラテスは、ではメノンもソフィスト達は「徳」の教師とは思えないのか問う。メノンは、分からないと答える、自分も時には「徳」を教えられると思ったり、時にはそうでないと思ったりもすると。ソクラテスは、「徳」が教えられると思えたり、思えなかったりするのは、メノンや政治家達だけではなく、詩人テオグニスの場合も一緒だと指摘。 36. ソクラテスは、テオグニスの詩を披露する。そして、これまでの話をまとめ、一方には「徳」を教えると称するソフィスト達がいるが、そんな彼らの資質・能力に疑問・批判を投げかける者がおり、他方には、本人の「徳性」が認められている人物達がいるが、彼らがその「徳性」を教えられるか否かについて見解の相違がある、こうした意見が混乱した人々を「徳」の教師と肯定できるか問う。メノンは、否定する。 37. ソクラテスは、それでは「徳」を教えることができる者はいないし、それを習う者もいないし、徳は教えられるものではないということになると指摘。メノンも、同意する。
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