「徳」の部分と関係性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 03:30 UTC 版)
「プロタゴラス (対話篇)」の記事における「「徳」の部分と関係性」の解説
ソクラテスは、プロタゴラスに教えを受けるとどういう「効果」があるのか問う。プロタゴラスは、「日に日に優れた人間になる」と答える。ソクラテスは、具体的に「何に関して」そうなるのか問う。プロタゴラスは、「家や国家公共事に関して有能者になる」と答える。ソクラテスは、自分はそうしたもの(徳)は教えることができないと考えているので、「徳は教えることができる」ということを、示してもらいたいと述べる。 プロタゴラスは長々と物語風の弁説を行う。ソクラテスはそれを賞賛しつつも、問答を行ってもらえるよう頼む。 ソクラテスは、先の話に出てきた、「徳」と、「正義」「節制」「敬虔」(更には、「勇気」「知恵」)等の関係を問う。プロタゴラスは、「正義」「節制」「敬虔」等は「徳」の部分だと答える。それは「顔」と「鼻」「目」「耳」等の関係と同じだという。ソクラテスは、それら部分はそれぞれ別々で、機能も異なるのか問う。プロタゴラスは、同意する。ソクラテスは、それではそれら部分(例えば「正義」と「敬虔」)は相反する関係になってしまうのではないか、したがって実際はそれらは同じか類似的・相似的なものではないのかと指摘。プロタゴラスは、この話はそんなに極端で単純ではないと言葉を濁す。 続いてソクラテスは、「それぞれの概念には反対概念が1つしかない」という同意と、「「節制」と「無分別」、「分別」と「無分別」はそれぞれ反対概念」という同意を踏まえて、「「節制」と「分別」が同一のもの」(部分同士が同一)になってしまうことを指摘。先の議論との矛盾を顕わにする。プロタゴラスも、同意する。 続いてソクラテスは、(「相対主義的な主張」で有名な)プロタゴラスの言う「善」とは、「人間にとって」の「善」なのか問う。プロタゴラスは、そうでもあり、そうでない場合もあると、相対主義的に様々な場合の「善」をまくし立てる。
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