無知の自覚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 06:13 UTC 版)
「無知」も参照 ソクラテスはアポロンの託宣を通じてもっとも知恵のある者とされた。ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。その結果、彼は知者を僭称する独断論者たちの無知を暴くための論争に明け暮れることになる。 彼の「無知の自覚」(近年では、無知の知とは誤解で、「不知の自覚」とも訳される)を背景とした知・無知に対するこだわり(とその効用)は、『ソクラテスの弁明』の終盤、死刑が確定した後の、死についての自身の見解を聴衆に語るくだりにおいて鮮明かつ象徴的に見て取ることができる。彼はそこで、(後に弟子のプラトンがオルペウス教(ピタゴラス教団)的な輪廻転生説に嵌っていくのとは対照的に)死後のことについては一切わからないという不可知論の立場を採る (死刑確定前の弁明においても、「死後のことを知っている者など誰もいないのに、人々はそれを最大の悪であるかのように恐れる。それは自ら知らざることを知れりと信ずる無知であり、賢くないのに賢人を気取ることに他ならない。私は死後のことについては何も知らない代わりに、知っていると妄信もしない。」といった趣旨の発言をしており、ソクラテスがここに相当のこだわりを持っていたことがうかがえる)。しかし一方で、彼は死は自身にとって、禍ではなく、一種の幸福であると言う。なぜなら、死後については二説あって、唯物論者たちの言うように、死が虚無に帰することであり、全ての感覚の消失であるならば、それは人生において他の昼夜より快適だった夢一つ見ない熟睡した夜のごときものであろうし、他方で冥府(ハデス)があるとしたならば、そこで真誠な半神たちによる裁判を受けることができるし、ホメロスやヘシオドスと交わったり、オデュッセウスやシシュフォスと問答することもできる、どちらにしろ幸福である、というわけである。であるがゆえに、死を恐れて不正な裁判に屈することなどなく、善き生を貫徹できるし、善き生を貫徹した者は、死に際しても幸福である。 このように、死後については「知らない」が、それを自覚しているがゆえに、それについての諸説を冷静に「知る」ことができるし、ひいてはどちらに転んでも自分や善き生を送った者にとって幸福であることも「知る」ことができ、だから死を恐れずに善き生をまっとうできる、対照的に、知に対する節度をわきまえない独断論者たちは、どこかでつまずき、知りもしないことに踊らされ、翻弄され、そうはならない、といった具合に、「善き生」と「無知の知」はひとつの円環を成し、「無知の知」は「善き生」にとっての必須条件となっている。 (ただし、ここでもその前後で「ダイモニオン」による諫止がなかったからこの死は善いことであるとか、「善人に対しては生前にも死後にもいかなる禍害も起こりえない、また神々も決して彼の事を忘れない」ことを真理と認める必要があるとか付言していることからもわかるように、ソクラテスの「無知の知」を背景とした抑制した態度は、単なる不可知論や相対主義に終始するものではなく、また論理的帰結のみに頼るものでもなく、常にそこを補う神々への素朴で楽観的な信仰などの「独断」と抱き合わせで成り立っていることに注意が必要と言える。ソクラテスの思想には全般にわたってこういった二面性が孕まれている。) また一般に、ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により哲学を展開する。その方法は自分ではなく相手が知識を作り出すことを助けるということで「産婆術(助産術)」と呼ばれている。ソクラテスのもちいた問答法は、相手の矛盾や行き詰まりを自覚させて、相手自身で真理を発見させた。こうして知者と自認する者の無知を晒させた。こういった、意図を隠したとぼけた態度は、エイロネイア(イロニー)と呼ばれる。
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