無知の自覚と知ある無知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:46 UTC 版)
「en:I know that I know nothing」も参照 他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを自覚している点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。なお、日本では「無知の知」と言われる事もあるが、ソクラテスは「無知の知」を主張していない。。 なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。しかしこれらは「無知が良い」という意味ではなく、「無知であることを自覚することで、新たな学びを行うことを促進し、その結果無知を克服し成長する」ことを意味する。ただし、論語は伝統的に複数の解釈がある(論語の注釈)。 15世紀のニコラウス・クザーヌスは「知ある無知」(ラテン語: docta ignorantia,「無知の知」とは訳し難い)を説いた。
※この「無知の自覚と知ある無知」の解説は、「無知」の解説の一部です。
「無知の自覚と知ある無知」を含む「無知」の記事については、「無知」の概要を参照ください。
- 無知の自覚と知ある無知のページへのリンク