「デルポイの神託」と「無知の知」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:19 UTC 版)
「ソクラテスの弁明」の記事における「「デルポイの神託」と「無知の知」」の解説
5. 自身に対する名声・悪評の理由。それは一種の智慧である。しかしそれは告発者・風評に言われるような超人的智慧ではなく、人間的智慧である。その説明の端緒として、デルポイの神託所で自身(ソクラテス)が最も賢いと言われたエピソードを披露。(以降、9まで一連の話が続く) 6. 上記の神託の検証のために、賢者と世評のある政治家と対話を行ったエピソードを披露。相手を無知だと感じ、その説明を試みるも憎悪される。自身も無知だが、それを自覚している(無知の知)だけ、相手より賢いと考える。更にもう一人の世評のある人物を訪ねたが同じ結論だった。 7. その後も順次、様々な人に憎悪されながらも歴訪。その結果、世評のあるうぬぼれた人々はほぼ全て智見を欠いており、むしろ世評なき分をわきまえた謙虚な人々ほど智見が優れていた。政治家の次に、様々な詩人を訪問したが、政治家の場合と同じく、自ら語る内容の真義については何らの理解もなく、特定の才能を以て他の事柄も知り尽くしている智者であるかのようにうぬぼれていた。 8. 最後に手工者を訪ねた。彼らもその分野、熟練した技芸においては智者であったが、詩人と同じく、そのことを以て他の事柄に関しても識者と信じていた。こうして一連の歴訪を終え、神託の名において、これまでの自身のように「智慧と愚昧を持たずにあるがままでいる」のがいいか、彼らのように「智慧と愚昧を併せ持つ」のがいいか自問し、前者を選んだ。 9. こうした行為の結果、自身には多くの敵が出来、多くの誹謗が起こった。また、相手の無知を論証する行為を見ていた傍聴者は、自身(ソクラテス)を賢者と信じるため、名声も広まった。しかし、真に賢明なのは神のみであり、この神託は人智の僅少・空無さを指摘したものであり、神が自身(ソクラテス)の名を用いたのはあくまでも一例に過ぎない。「最大の智者は、ソクラテスのように、自分の智慧の無価値さを悟った者である」と。この神意のままに自身は歩き廻り、賢者と思われる者を見つけてはその智慧を吟味し、その濫用・うぬぼれがあれば神の助力者としてそれを指摘する。この神への奉仕事業のため公事・私事の暇なく、極貧に生活している。
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