カルタゴの反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:28 UTC 版)
第一次ヒメラの戦いの後70年、カルタゴはシケリアへは介入せず、マゴ王朝の指導の下、北アフリカでの領土拡大、アフリカ大西洋岸とヨーロッパへの交易ルートの開拓、サルディニアの平定に集中していた。シケリアのギリシア人もまた、カルタゴを挑発するようなことはしなかった。交易パターンを変更し、市場を統合したことにより、紀元前430年頃にはカルタゴには大量の金銀が貯蔵された。ギリシア人もカルタゴの国力増大を知っており、このためアテナイのシケリア遠征の際にはシュラクサイはカルタゴの支援を求め、一方のアテナイもカルタゴの支援を要請した。カルタゴはどちらの要請も拒否し、紀元前416年のセゲスタの支援要請も拒絶した。しかし、紀元前411年にセリヌスが再びセゲスタを攻撃すると、事態は一転した。
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