カルタゴの準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 06:02 UTC 版)
ハンニバルはサグントゥム包囲戦の後、冬の間に一旦軍を解散した。紀元前218年の夏に軍を再編成したが、15,000の兵と戦象21頭を弟のハスドルバル・バルカに委ねてカルタゴ支配下のイベリア半島に残し、20,000をアフリカに送り、4,000をカルタゴ本国の守備とした。イベリア半島のカルタゴ根拠地であるカルト・ハダシュト(ローマ側の呼称カルタゴ・ノウァ、現在のカタルヘナ)からイタリアに向かった兵力は、歩兵90,000、騎兵12,000、戦象37頭と推定される。戦象に関しては2世紀の歴史家であるアッピアノスが記述しているが、それより以前のポリュビオスやティトゥス・リウィウスの記録では触れられていない。このため、ローヌ渡河・アルプス越えに参加した戦象は別途海路でアンプリアスに送られたのではないかと推測されてきた。イベリアのカルタゴ海軍は五段櫂船50隻(ただし、乗組員は32隻に配属されていたのみ)と三段櫂船5隻であったが、本拠から動かなかった。カルタゴ本国にはイタリアやシチリアを直ちに攻撃できる五段櫂船が少なくとも55隻はあった。
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