サグントゥム包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 00:16 UTC 版)
「ハンニバルのアルプス越え」の記事における「サグントゥム包囲戦」の解説
詳細は「サグントゥム包囲」を参照 これらの準備が整うと、ハンニバルはサグントゥムを挑発して攻撃をしかけさせ、それを理由にローマに宣戦布告する方法を探した。ハンニバルは自ら平和を破る気は無く、サグントゥムから攻撃を実施させるよう多くの策略を実施した。しかしサグントゥムはそれには乗らず、ローマに対してカルタゴの好戦的態度を訴えた。元老院はイベリア半島へ使節を送り、問題を外交的に解決しようとした。ハンニバルには外交解決の意思は無く、傲慢な態度で使節に対応し、それがローマ側からの宣戦布告につながることを期待した。しかし使節はだまされず、戦争のもくろみは消えてしまった。使節は平和を守ったが、ローマに対してハンニバルが戦争の準備をしており、早々に攻撃を開始するであろうと報告した。元老院はいくつもの手段をとりカルタゴとの戦争ができるように備えた。エブロ川以北のイベリア半島は鎮圧され、ガリア・キサルピナ(アルプスの手前のガリア)に多数の要塞を建設した。同じころ、ファラオ島(現在のフヴァル島)の支配者であったドメティリウス(en)はローマとの同盟関係を解消し、イリュリアのローマ属州の都市に対する攻撃を開始した(第二次イリュリア戦争)。 ハンニバルは彼の望むような展開は得られなかったが、カルタゴ本国(彼の政敵である平和派が権力を握っていた)に対して、サグントゥムがその支配下にあるトルボルテ族を手荒に取り扱っていると報告し、本国からの返答をまたずにサグントゥム前面に野営地を築いて、包囲戦を開始した。カルタゴ元老院では、ハンニバルをローマに引渡し、その行動を否認するという議論もあった。しかしカルタゴの大衆はこの戦争を支持した。 包囲戦は8ヶ月続いたが、ローマは同盟条約を無視して、サグントゥムに援軍を送らなかった。ローマは第二次イリュリア戦争で手が一杯で、イベリア半島におけるカルタゴの脅威を真剣に受け止めなかった。 サグントゥムが陥落すると、ハンニバルはその住人を全員奴隷として売り払い、その売り上げを兵に分配した。加えて、街を略奪して得た戦利品をカルタゴに送り、一般民衆からの支持を得るために彼らに分配した。残りの街の財宝は遠征のために軍資金とした。
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