カルタゴの捕虜として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:49 UTC 版)
「マルクス・アティリウス・レグルス」の記事における「カルタゴの捕虜として」の解説
和平交渉の際には仮釈放されローマへと同行させられたが、カルタゴの狙いを無視して元老院に徹底抗戦を呼びかけた後、ローマの人々の反対を押し切り、仮釈放という約束を果たすためカルタゴへと帰っていった。 レグルスは捕虜交換交渉のため仮釈放されたが、ローマに来てまず行なったのは、捕虜を戻す事を禁じる動議だった。親類縁者が皆、カルタゴに戻らないよう引き留める中、彼は敵と交わした約束を破るよりも、戻って拷問の末に死ぬことを選んだのだ。 キケロ『義務について』1.39 カルタゴに帰ったレグルスは拷問の末殺された、とローマでは言い伝えられ、彼の態度は市民の美徳のお手本とされた。一説によるとその最後は、釘を打ち込まれた桶に入れられ不眠の拷問の末だったという。 私の代弁者たる美徳(virtus)は間違いなく、快楽を追求した幸福な男トリウスよりもレグルスを上位と見なすだろう。彼は自分の意思で、敵との約束を守るためにカルタゴへ戻った。不眠と飢餓に責められる間、それでもバラに囲まれ戯れるトリウスよりも幸せだったと、そう美徳は宣言する。レグルスは2度執政官となり、凱旋式まで挙行したが、最後に受けた災厄こそが、最も偉大で栄光に満ちた行いなのだ。 キケロ『善と悪の究極について』2.65
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