カマリナの立地と防御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:15 UTC 版)
「カマリナ略奪」の記事における「カマリナの立地と防御」の解説
カマリナはシュラクサイの西112キロメートルに位置し、ヒッパリス川とオアニス川に挟まれていた。都市はヒッパリス川の南岸にあり、周囲は城壁で囲まれており、それぞれの川の河口には港があった。港には大艦隊を収容するような大きさがなく、その場合には、船は海岸にそのまま乗り上げて停泊した。母都市はシュラクサイで紀元前598年に建設が始まった。先住民であるシケル人と協力して反乱を起こしたこともあったが、紀元前552年に鎮圧され、その後シュラクサイ領となった。 ゲラの僭主ヒポクラテスが紀元前492年に占領し、続くゲロンが紀元前484年に住民をシュラクサイに移住させた。紀元前461年に、ゲラによって再建され、レオンティノイとアテナイと同盟を結んでシュラクサイに対抗した。ただし、アテナイのシケリア遠征ではシュラクサイに協力した。カルタゴがシケリアに侵攻すると、紀元前406年にはアクラガス、紀元前405年にはゲラに兵を送っている。 ゲラよりはシュラクサイに近く、したがってギリシア連合軍の補給線はかなり短縮された。また、ディオニュシオスは艦船によって補給を受けるだけでなく、近郊のアクラエ(現在のパラッツォーロ・アクレイデ)とカスメナエ(en、現在のブシェーミ)も補給基地として用いた。ヒッパリス川はカマリナの濠の役目も果たしていた。川の北側の陸地は沼地となっており、カルタゴ軍がそこから攻撃したり、あるいは野営地を設営するのは困難であった(ただし紀元前405年以前に沼地の水が抜かれていなかった場合)。
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