カマラシーラの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/23 06:42 UTC 版)
「サムイェー寺の宗論」の記事における「カマラシーラの登場」の解説
劣勢に立たされたインド僧が、インドからカマラシーラを招いた。以後、論争の主体は、カマラシーラと摩訶衍の間に移行した。最終的に、カマラシーラが勝利したことにより、797年頃には、摩訶衍は敦煌に放逐されたとされる。以後、インド仏教がチベットでの仏教の正統と認定され、その後のチベット仏教の流れが決定づけられた、という。
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