ラムセス3世の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 03:55 UTC 版)
「エジプト第20王朝」の記事における「ラムセス3世の死」の解説
ラムセス3世の治世末期にラムセス3世の暗殺事件が発生した。それはラムセス3世の妃の一人ティイ(英語版)が自分の息子ペンタウアー(英語版)を王位に付けようとして計画したもので、賛同者が多数参加していた。 暗殺は成功したが、首謀者のティイを初め全員が逮捕されて裁判にかけられた。この時の裁判記録が現存しており、それによれば裁判は3度に分けられて行われた。最初の裁判では7人の王家の執事、2人の宝庫長、2人の将軍、2人の書記、布告官1人の合計14人が、次の裁判で6人が、三番目の裁判でペンタウアーを含む4人が、4番目の裁判ではこれらの反逆者に供応した裁判官ら5人が罪に問われ、1人を除いて全員が有罪判決を受けた。大半は死刑である。ティイ自身の裁判記録は残っていないが、間違いなく死刑となったであろう。 なお、2012年にイタリアの研究チームが、ラムセス3世のミイラをコンピュータ断層撮影(CT)で調査した結果、のどを覆う布の下に大きく深い切り傷が発見されたことから、ラムセス3世は鋭利な刃物でのどをかき切られて即死状態であったことが分かった。ラムセス3世の死はエジプト新王国が覇者であった時代の終わりでもあった。
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