ラムセスのミイラについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 13:55 UTC 版)
「ラムセス3世」の記事における「ラムセスのミイラについて」の解説
1881年、フランスのエジプト考古局 (en) の最高責任者であったガストン・マスペロの指示を受けたエミール・ブルグシュ(英語版)によってデル・エル・バハリ(英語版)のDB320(英語版)からラムセスのミイラが発見された。 なお、DB320からはラムセス以外にトトメス3世やラムセス2世などのミイラも同時に発見された。ラムセスらのミイラが王家の谷から移された理由として、第20王朝末期に権力を争っていたピアンキ(英語版) (アメン大司祭国家第2代大司祭) が敵対していたパネヘシ(英語版) (ヌビア総督) やヘリホル(英語版) (アメン大司祭国家初代大司祭) に対抗し、自らの権力基盤を固めるための軍資金として王家の谷の財宝を組織的に盗掘していたことが挙げられる。最終的に第22王朝のシェションク1世によってDB320へ運ばれた ラムセスのミイラは「ミイラ再生」 (1932年) など多くのハリウッド映画で代表的なエジプトのミイラのモデルとして活用されている 。ラムセスの墓 (KV11(英語版)) は王家の谷で最も大きな墓の一つである。 2021年4月3日、エジプト考古学博物館から同年に開設された国立エジプト文明博物館へラムセスを含む22体のミイラが、数百万ドルをかけて「ファラオの黄金パレード (The Pharaohs' Golden Parade)」と題して移送された。
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