征服後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 15:30 UTC 版)
アステカを征服すると、コルテスは征服した土地を部下に分け与え、自らも広大な土地を手に入れた。これにより、旧アステカにもエンコミエンダ制が大々的に成立することとなった。1523年、コルテスはカルロス1世(カール5世)から総督に任命されカリフォルニア南部を探検した。同時に、ホンジェラスやニカラグアへ遠征隊を派遣した。入植者たちは、広大な土地を与えられ、労働力としてインディオたちを金山や銀山で強制労働させ、奴隷として扱った。 1524年、ホンジュラスのスペイン併合を宣言。 1525年2月26日、反乱を企てたとの疑いにより、クアウテモックを絞首刑に処した。この瞬間アステカは滅亡し、メキシコはスペインに併合された。 1527年、スペインに一時帰国。 1529年、バジェ・デ・オアハカ侯爵に封ぜられる。 1530年、メキシコに戻り、大エンコメンデロとして富を築いた。 1533年、カリフォルニア半島の先端を確認した。 1540年、スペインに帰国。総督への再任を請願するも、却下される。1541年にはカール5世のアルジェ遠征に参加した。 1547年12月2日、セビーリャ近くのカスティリェハ・デ・ラ・クエスタにて赤痢により死亡。62歳。遺体は遺言により、メキシコシティと改称したテノチティトランに自身が建てたへスース病院内の礼拝堂に埋葬された。 なお、コルテスの封じられたバジェ・デ・オアハカ侯の侯爵位は、正妻の子マルティンが継いだ。その後、男系は絶えたが、女子相続人を通じ、2018年現在までバジェ・デ・オアハカ侯爵は存続している。
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