征服以前の探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:45 UTC 版)
詳細は「植民地化以前のカナリア諸島(英語版)」を参照 大プリニウスとストラボンの地理誌においてカナリア諸島は至福者の島として言及があるが、住人についての記述はない。グアンチェの人々に関する記述は、アラブ人地理学者イドリースィーがルッジェーロ2世のため1150年頃に記したNuzhatul Mushtaqにおいて、リスボンより出航したアンダルシア人航海者一家というMugharrarin(冒険家の意)による大西洋探検の報告として出てくる。この書の唯一現存する版であるフランス国立図書館本テキストとピエール・アメデ・ジョベール(英語版)の訳本によれば、このMugharrarinは「粘着質で悪臭を放つ水域」に至ったのち引き返そうとしたところ無人島(マデイラ諸島かエル・イエロ島)を発見したが、そこには「肉質が苦く食用に出来そうも無い羊が無数にいた」といい、更に「南進を続けたところ」別の島に至り、そこで小型の帆掛け船に取り囲まれ集落に連行された。「村の住人の多くは金髪か亜麻色の長髪であり、女性は不美人ばかりであった」という。村人の中にひとりアラビア語を話す者があり、何処から来たのかと尋ねてきた。その後、村の統治者は航海者たちに大陸方向へ立ち去るよう指示したが、辿り着いた先でベルベル人の歓迎を受けたので驚いたという。不可思議で空想的な部分の記述はさておき、この記事からはグアンチェ族が大陸の住人と散発的に交流していたことが窺い知れる。イドリースィーはグアンチェ族について、背が高く赤茶色の肌をしていたとも記している。 14世紀に入ると、グアンチェ族はバレアレス諸島のスペイン系航海者たちとも接触していたと推測される。バレアレス諸島由来とみられる遺物がカナリア諸島のいくつかの地点から発見されているためである[要出典]。
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